カテゴリ
以前の記事
2016年 01月 2015年 01月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 07月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 お気に入りブログ
リンク
最新のトラックバック
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
3月は、モーニングセミナー祭りということで盛り上がっているところに、今回の震災である。祭りとはこの時期、あまりに不適切という事で中止という事に相なった。先日の深谷での中西先生の話では、陸前高田市の倫理運動の歴史は古く、昭和24年の研究所開設当初からだという。宮城県も多くの法人SVを抱え有為な人材を輩出している県で、倫友の立場からは全く他人事ではない。聞くところによると北海道、東北の倫理経営講演会は全て中止になったとのことである。
それにつけても今回の災害は一体、我々に何を教えているのだろう。石原都知事のように「天罰」だと言い放ってしまえば簡単だが、このところの日本の体たらくを考えると、我が国民も真摯に反省するところは多々あるかもしれない。 私は、今ここでそれを取り上げるのは不謹慎かと思うが、あえて言えば「死について」である。昨日、あれだけ元気でいた家族や友人が一瞬でいなくなる。その災害は何の予告もなく襲ってくる。これほど非情なことはあり得ないと思うが、それが現実である。それをもう沢山だと思うほど連日メディアは放送している。今は他人事のように考えているが、その災難はいつ自分に降りかかってくるかはわからない。まさに我々は「生かされている」のである。生きて、こうあることのほうが奇跡であるし、感謝すべきことなのである。「ありがたい」とはまさに「有難し」なのである。 長年、私が倫理を勉強している中で、一番の印象的な言葉は「人は人、自分は自分と、別々のいきものだと考えるところに、人の世のいろいろの不幸がきざす。」である。これは「万人幸福の栞」の第4条「万象我師」の冒頭の一節だが、誠に意味が深い。石原氏も「かつてはお互い様、と考えていた日本国民が、このところ我欲に走りすぎた結果の天罰だ」と言っている訳だが、満更、嘘を言っているわけではないのである。確かにこのところ、日本人は多くを望みすぎたし、抱えすぎた。これからは、もっとシンプルに生きよう。贅肉を取ろう。無駄を捨てよう。特に私が、捨てるべきもので強調したいものは「我儘」である。それが全ての不幸の原因である。それがまた純粋倫理の学びの中核でもある。序にある通り、それを実行すれば直ちにその正しさが証明されるのである。それを捨てることが幸せの根源である。
by y-rinri
| 2011-03-16 11:38
|
ファン申請 |
||