「金を儲けて何が悪い?」「金さえあれば何でも出来る。」すでに風化されつつあるホリエモンの台詞だが、小沢一郎の一連の行動や発言がもう一度それらを想起させる。不起訴になったとはいえ、何もやっていないとは誰も思ってはいない。法の網をくぐっているだけだと誰しも思っている。しかし「やましき沈黙」が政界ならず今を覆っている。それは何故かと言えば、唯一ホリエモンと違うのは小沢自身が自己の行動指針を「世の為、人の為」と寸分も疑っていないからだ。大変な豪邸に住まっているようだが、何の後ろめたさを感じている風は無い。文句があるなら権力を俺から取ってみろ。まさに彼の頭の中は、この夏の参議院選挙で過半数取る事なのだ。それを成し遂げる為には手段を選ばない。リミット無き精神構造である。もう一度、思い出して欲しい行動指針がある。京都は竜安寺の石庭の蹲(つくばい)に書いてあるが、「吾(われ)、唯、足るを知る」何事も際限無き振舞いこそ考えるべき事である。