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今回の政権交代における主題は、いかに政治主導を図れるかにあるという。
これは一点に閣僚の任期にあると思う。自民党議員の場合は、これまでの長期政権にあって、政治家になったからには何時かは大臣、という意識を持って当然である。そのためこれまでは、当選回数順にポストのたらいまわしが当たり前に行われてきた。その結果、首を傾げたくなるような人が、大臣職に就くことも否めなかったのである。私はこれが最大の官僚主導を許してきた元凶だと思う。 その点、降って沸いたような政権交代の中で、長年野党であった民主党議員は大臣職にそれほどの執着心も無いと思うから、今回、大臣になった方は4年間やり通すくらいの気持ちで頑張って欲しい。そうすれば官僚側も腰を落ち着けて働けるだろうし、お互いの信頼感も醸成されて、結果、政治主導も可能になると思うのである。 #
by y-rinri
| 2009-09-23 14:45
民主党政権が本格的に始動した。思いのほか国民の支持率が高いようである。よく100日間のハネムーンといわれるが、確かに期待値込みの数値であることは、民主党もわかっているだろう。しかしながら閣僚の顔ぶれを見ると、鳩山総理もなかなかしたたかではないか。小沢との二重権力構造という世間の風評も、前原や仙谷氏等の入閣により、払拭しようと頑張っている。また小沢から横槍が入りそうになった藤井財務相の起用も、押し切った感じである。それらは鳩山家のお坊ちゃん総理というイメージを大きく変えた。先日、テレビで39歳での初当選以来の氏の特集番組をやっていたが、よく氏の人物像が描かれていた。新党さきがけの結党。自社さ連立政権の立ち上げと挫折。武村正義や田中秀征たちとの決別と民主党の立ち上げ。その後の小沢自由党との合体。本人はしごく淡々としてやっているようだが、多くの修羅場をかいくぐって来ているのだ。弟の邦夫議員に言わせると「兄貴ほどの野心家はいない」との事である。確かに一見、その無私無欲と見紛う野心(志)によって、今回の総理の座も射止めたのかもしれない。
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by y-rinri
| 2009-09-22 06:38
表記の会が、昨日今日と伊香保で開催され、総勢250名余りのレクチャラーが集まった。私はこれで3度目のレクチャラー会である。任期は一年ということなので、これまで何とか落第は免れたということだ。改めてレクチャラーの心得として以下のことを諭された。
体験報告の中味であるが、自己の体験をストレートに語り、余分な講話をしてはならないといわれた。後刻、ベテラン、お二人の模範体験報告がなされたが、20分間という短時間にも拘らず、見事にこちらに真意が伝わってきた。 1、自己紹介 2、体験の要約と概要 3、苦難の状況説明 4、倫理指導と気づき 5、反省とお詫び 6、倫理の実践 7、体験(変化、喜びの結果) 8、今後の抱負と決意 特別モーニングセミナーとして中西本部長の講話があった。流石に共感するところ多々あり、聞き入ってしまった。よくこの不況時に言われることだが、「ピンチはチャンス」という言葉についてである。そう唱えただけで、チャンスが自動的にやってくるような錯覚に陥り、何もしない人がいる。そうではなくて「ピンチはピンチである事」をまず知るべきだというのである。私も同感である。ピンチをチャンスに切り換えられる人は、まずそのピンチ(苦難)を知る人なのである。その苦難に対して真正面に向き合い決して目を背けない、そしてそれを素直に受け入れること。それをまずしない限り、次のステップには進めないのである。それでも多くの人がピンチのままで終わってしまい、最悪の事態になるのが常である。そこで倫理の出番なのだ。苦難は人を鍛える。ピンチをくぐりぬけた人は、一皮も二皮も剥け化ける。顔つきも変わってくる。時代が大きく変わる今こそ、全身全霊を持って事に当ろう。今が本当の学びどころである。心の貧しい人は昨日のために働き、心の豊かな人は明日のために働き、心の据わった人は今日のために働く。ナウ イズ ベスト。そんな気概で頑張りたい。 #
by y-rinri
| 2009-09-20 15:25
純粋倫理と功利的倫理の項で、ものの功罪を述べたが、先日久しぶりに会った友人に、10年ほど前、あるところに投稿した「インターネットの功罪」という一文を以って、私の慧眼を褒められた。そんなことでもう一度読み返してみたが、なるほど自画自賛で申し訳ないが、事実大方の見方は当たっているようである。以下に再掲をするので皆さんのご批評を仰いでみたい。
「インターネットの功罪」 私は今、インターネットにはまっている。それまでなんとなく食わずぎらいであったが、いまではEメールの交換のために日に2,3度はパソコンの前に座らないと落ち着かないほどである。最近は高じて自分でホームページを作っている。規定の容量(5MB)をはるかに越えてのホームページづくりは完全に病気である。以前これをやり出すと完全におたくになると言われたがさもありなんと思う。 どうしてこうなったかというと、すこし大げさかもしれないが、私はまさにこのインターネットこそが、様々な現在の閉塞状況を突破する有力なツールのひとつであると思っているのだ。まずその理由として、それが情報交換に関して、時間と距離の超越を可能にしたことである。私ごとになるが、現在私の弟は米国に赴任中であるが、彼とのコミュニケーションもたったの10円で可能だし流行のデジカメを使えば瞬時に家族の写真も送ることが出来る。時差の点でも夜、昼の関係からかえって日本にいるときより反応が早いくらいである。 最初、軍事目的で開発されたこのインターネットは、今では学術研究やビジネスなど利用範囲が拡大され、その利用者とデータの膨大さは目を見張るほどであるが、米国に比較すると日本での本格的な普及はまだまだこれからであろう。当初は企業向けが主であったホームページも、今では個人用のほうがより魅力的でおもしろい。最近それを利用しての暗部も指摘されてはいるが、文明の利器の諸刃のやい刃的なところは歴史の証明するところである。これからは個人的にも益々ホームページを持つ人が増えてくるであろう。そのうち名刺の下にそのURLのアドレスがないのが恥ずかしいことになるかもしれない。それくらいメディアのツールとしては安上がりだし、コミュニケーション手段としての無限の可能性を秘めている。 とにかくこれまで、一部のマスコミに限られてきた情報の発信が、いとも簡単に個人レベルで可能なのは言うまでもなく、その自己表現と自己実現の対象は世界中の人達へと広がっているのだ。物への欲求に限界を感じ始めている現代人にとって、その見知らぬ人達との予期せぬ出会いはなんとスリリングで豊かなことであろうか。私はこれまでの発明と発見は、人と人との交流によるインスピレーションの発露にあると思っているが、実はこのことが現在の閉塞状況突破の可能性をこのインターネットに見ている大きな理由なのである。 ちなみに私のURLアドレスはhttp://www.c-5.ne.jp/~sobasaki/ です。皆さんおおいに交信しましょう。(熊谷法人会便り 99/2/11) #
by y-rinri
| 2009-09-13 07:04
今年は我が母校、慶応義塾大学の創立150周年だという。それを記念して入間、飯能市近在の塾OBを集めた奥武蔵三田会なるものが、表題の記念講演を飯能プリンスホテルにて開催した。講師は慶応義塾福沢研究センターの都倉武之氏である。福沢先生については以前、「痩せ我慢の説」なるもので、あの天下の勝海舟をコケにしたという武勇伝を聞いていたが、今回の講演でさらに筋金入りの硬骨漢であることがわかった。講演では「福翁自伝」「学問のすすめ」「福翁百余話」等を引用して、種々面白い話が披瀝された。その中のひとつをご紹介しよう。テーマは「俗ー権威を嫌い在野を誇る」である。
政府から君が国家に尽くした功労を誉めるようにしなければならぬというから、私は自分の説を主張して、「誉めるの誉められぬのと全体そりゃ何の事だ、人間が人間当たり前の仕事をしているのに何も不思議は無い、車屋は車を挽き豆腐屋は豆腐をこしらえて、書生は書を読むというのは、人間当たり前の仕事をしているのだ。その仕事をしているのを政府が誉めようというのなら、まず隣りの豆腐屋を誉めて貰わなければならぬ。そんな事は一切よしなさい。」と言って断った事がある。 さらに、 人々の智愚賢不肖にかかわらず、上士は下士を目下に見下すという風がもっぱら行われて、私は少年の時からそれについていかにも不平で堪らない。・・・上士の傲慢無礼を憤ると同時に、心の中では思い直して、この馬鹿者めが、何も知らずに夢中に威張っている。見苦しい奴だと却って気の毒に思うて、心中却ってこっちから軽蔑していました。・・・人間の空威張りは見苦しいものだ。威張る奴は恥知らずの馬鹿だとばかり思っていたから、それゆえ藩中に居て人に軽蔑されても侮辱されても、その立腹を他に移して他人を辱めるということはどうしても出来ない。・・・出来ないどころでは無い。その反対に私は下のほうに向かって大変丁寧にしていました。これは私一人の発明ではない。私の父母共にそういう風があったと推察出来ます。 引用が長くなったが、こういったことを公言して憚らなかったようである。福沢先生の落款は「三十一谷人」というシンプルなものなので贋作が絶えないようであるが、三十一とは重ねて書けば「世」である。谷人とは「俗」のことである。つまり自分を世俗と称して憚らない人であった。そこに権威を嫌い在野を誇る気概があったのである。 #
by y-rinri
| 2009-09-10 12:01
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