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先にこのブログにて人の奇縁、妙縁なるものをご紹介したが、早速に最知氏が動いてくれた。詳細はご本人の了解を得たので下記のお手紙をご一読頂きたいが、こごなった知恵の輪が解けたように全てが繋がった。年が改まって、又、新たなる邂逅を体験できるのを心待ちにしている。
-------------------------------------------------------------------------- 拝啓 師走の候、鯉渕先生におかれましてはますます御健勝のこととお慶び申し上げます。突然の小生からの手紙さぞ驚かれた事と存じます。また卒業以来音信不通、ご無沙汰申し上げましたことを心よりお詫び申し上げます。 改めまして、小生は、昭和59年に亜細亜大学法学部を卒業し、学生時代モンゴル研究会、日本文化研究会(社団法人国民文化研究会)に所属しておりました最知浩一(さいちこういち)です。覚えていらっしゃいますでしょうか。 早いもので、亜細亜大学を卒業し、今年で26年が経ちました。鯉渕先生には学生時代さんざんお世話いただいたにも係わらず、本当にご無沙汰しており、言い訳の言葉も見つかりません。 小生申し遅れましたが、卒業後幾つかの職業を経て、現在は都内に本部を置く医療グループに勤めており、広報関係の業務をしております。(医療法人IMSグループ 本部事務局 総合企画部 課長 勤務地 東京丸の内)また、卒業後も、小田村先生、夜久先生、東中野先生にご指導頂き、国民文化研究会の会員として現在も合宿や輪読会の活動を続けさせていただいております。 本日手紙を差し上げましたのは、最近一人のモンゴル人女性との邂逅について先生にご報告申し上げたく筆をとらせて頂いた次第です。 小生の国文研の先輩に、埼玉県寄居町出身の飯島隆史さん(昭和52年早稲田大学卒業、埼玉銀行(現埼玉りそな銀行)を経、株式会社新明電材常務)という方がいらっしゃいます。学生時代からとても懇意にさせていただいている先輩です。その方の従兄で柴崎猛さんという方が埼玉県の寄居町に株式会社シバサキ製作所(http://www.shibasaki-ss.jp)という車の部品工場を経営されておられ、その会社には10名のモンゴル人の方が働いています。 実は、先日の12月5日(日)、飯島氏の紹介で柴崎社長にお目にかかる機会がございました。飯島氏に日頃小生が亜細亜大学の出身で、学生時代モンゴル研究会に所属していた事などをお話していたこともあり、一度柴崎社長やそこで働いているモンゴルの方に会わせてくださるという事で、寄居で宴席を催して頂きました。その席にソブダさん(Tumurbaatar SUVD-ERDENE)という若いモンゴル人女性が参加されており、小生が亜細亜大学のモンゴル研究会の出身というのを聞き、「亜細亜大学のモンゴル語の先生で鯉渕先生をご存知ですか?」と尋ねてきました。「鯉渕先生はモンゴル研究会の顧問で、学生時代とてもお世話になった先生です」と応えたところ、「私は鯉渕先生にはお目にかかった事はないですが、私の祖父と祖母が先生ご夫妻にとてもお世話になり、小さい頃から日本には鯉渕先生という素晴らしい方がいらっしゃるのだよ」と言い聞かされ育った事、いつも祖父母の寝室に先生のお写真、先生ご夫妻からいただいたお手紙が飾ってあり、何度も見せられたこと等を小生に話してくれました。目には涙を浮かべ、「いつかその鯉渕先生がいる日本に行きたい、先生に機会があればお目にかかりたい」とずっと思っていたそうです。何か不思議なご縁を感じ、お話を伺いながらとても感動しました。すぐに大学に連絡を取って、この事を先生にお伝えせねばと思い家路につきましたが、先生には卒業後ご無沙汰してしまった事、また、ソブダさんのお爺様と鯉渕先生が具体的にどのようなご関係だったのか、ソブダさんがモンゴルのどこのご出身なのかも詳しく知らないのに先生にお電話でお伝えするのは失礼と思い、先ずはその辺りの事をもう少し詳しく調べた上で、事情をご説明させていただこうと手紙を書かせて頂きました。 後日その辺りの事をソブダさんにお聞きしたところ、1987年にTBSで放映されたテレビ番組「開高健のモンゴル大紀行」の収録の際、先生が通訳として、開高健氏にご同行され、モンゴルの様々な場所に旅をされた際、モンゴルで先生達のお世話をさせていただいた方(おそらくタリアット村だと思います)がソブダさんのお爺様だったことが判りました。 ソブダさんは、祖父=SUIDAAN、祖母=BAVUUさんのお孫さんで、ウランバートルから北へ600kmのABRHANGAI県の出身ということも判明しました。 ソブダさんは1981年生まれの29歳の女性です。 実は、シバサキ製作所は今から5年前にウランバートルに「モン・シバサキ」という現地法人を設立し、全員モンゴル人の従業員で自動車部品を生産し、寄居工場に輸出しているそうです。 たまたま今から10数年前に、柴崎社長の高校の先輩が経営する人材派遣会社から二人のモンゴル人男性をシバサキ製作所で雇って見たところ、とても勤勉で、誠実な方々だったようです。柴崎社長はそんな真面目なモンゴル人に心打たれ、5年前にその二人を社長と副社長にして現地法人を設立したのだそうです。今では社員全員がモンゴル人で、日本人が誰も管理しない海外の工場として、業界関係者からも驚かれるほどの会社となっているようです。 柴崎社長の経営手腕、経営哲学もすごいと思いますが、それに応えて製品作りを行うモンゴル人スタッフもすごいと思いました。ソブダさんはその現地法人で採用され、仕事ぶりを評価され、寄居の本社勤務となった模様です。 祖父母から聞いていた素晴らしい国日本、そして祖父母が敬慕してやまない日本人の鯉渕先生が暮らす日本に来られた事を毎日感謝しながら働いているそうです。いつか必ずその方に会える日を夢見てこれ迄頑張ってきたのだそうです。 今日その鯉渕先生を知っている方を目の前にして感激し、涙があふれて来たようです。 小生恥ずかしながら、鯉渕先生が今年2月に亜大を退官されたことをつい最近まで知りませんでした。今は非常勤講師として毎週金曜日に大学にいらっしゃる事もはじめて知りました。ご自宅の住所も存じ上げないほどご無沙汰してしまいました。これまでのご無礼をどうぞお許し願います。 大学にお電話したところ、大学宛に手紙をいただければ、先生の研究室に届けていただけるとのことでしたので、お言葉に甘えて大学宛に出させて頂きました。この手紙が届いた週で、先生が大学にいらっしゃる金曜日に一度お電話させていただいてもよろしいでしょうか。是非ソブダさんの夢を実現させてあげたいと、はなはだ勝手ながら思っております。 先生のご都合などお伺いした上で、彼女を同伴しご指定の場所までお伺いさせて頂きたく存じております。 師走の慌しい時期にこのような手紙を差し上げてしまい本当に恐縮です。 また一方的なお願い、本当に申し訳ございません。何卒お許しくださいませ。 奥様にもすっかりご無沙汰してしまいました。末筆ながら奥様にもどうぞよろしくお伝え下さい。 敬具 鯉渕 信一先生 平成22年12月13日 最知 浩一
by y-rinri
| 2010-12-23 09:02
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