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かねてから頼んでおいた安岡正篤活学語録カレンダーがこのほど届いた。その中で、縁尋機妙という言葉に出会った。それは、良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展していく様は、誠に妙なるものがあるという意味である。
それをまさに先日、体験した。私の従兄弟に飯島というものがいる。母の三番目の妹の長男で旧埼玉銀行の深谷支店長を最後に退職し今は、大手の電気資材を扱う商社に勤務している。若い頃から「国民文化研究会」という会に所属し日本古来の思想文化を研究してきた好漢である。その好奇心は非常に旺盛で、数年前モンゴルにも同行した。その際の感動は今でも語り草にしている。そんな縁で当社の女性モンゴル研修生のソブダとも親交を持った。この度、忘年会をしようということで数人が集まった。そこに飯島君が国民文化研究会の友人で最知さんという方を紹介してくれた。彼は宮城県気仙沼の出身、亜細亜大卒で学生時代モンゴル研究会に所属していたことから、今回の参加ということになった。そこであらゆる機縁が重複した。 皆さんも開高健が、幻の大魚イトウを求めてモンゴルに行った話はご存知かと思うが、何とそのガイド役がソブダのお爺さんだったというのだ。実は最知さんの恩師でモンゴル研究会の顧問だった鯉渕先生(元亜細亜大学学長)が開高のモンゴル語通訳としてそれに同行していたという。そしてそれ以来鯉渕先生はモンゴルに魅せられて何度もソブダの祖父や祖母と親交を持ったという。特に祖母は鯉渕先生の人柄に惚れこみ、幼い頃からソブダに先生を通しての素晴らしい日本人観を語っていたという。それが又、彼女が日本語を習い何時かは日本に来たいという思いを醸成して行ったという。そして祖母が賞賛していた鯉渕氏ともいつかは会いたいと念じていたという。最知さんもその話に感動し、ソブダと鯉渕先生と出会う機会を確約してくれた。後日、ソブダから達筆なモンゴル語で書かれた鯉渕先生の手紙を見せてもらったが、そこには住所も電話番号も記されており、自分で先生と接触する事も可能だと思うが、彼女の言うには縁があれば必ず会えると信じていたので自然に任せていたのだという。何という奥ゆかしさだろう。改めて彼女の人間性に感動した。 それにしても私とモンゴルとのお付き合いもかれこれ十年ほどになるが、つくづく思うのは、それらの感情は彼等民族の本来的に持っている悠久なる気質の一つなのである。物事は余り短期的に見てはいけない、長い目で見ると世界が変わって見えるとは安岡先生の教えでもあるが、今回の邂逅はまさにそれを実感する好機となった。
by y-rinri
| 2010-12-11 08:00
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