カテゴリ
以前の記事
2016年 01月 2015年 01月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 07月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 お気に入りブログ
リンク
最新のトラックバック
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
今年は我が母校、慶応義塾大学の創立150周年だという。それを記念して入間、飯能市近在の塾OBを集めた奥武蔵三田会なるものが、表題の記念講演を飯能プリンスホテルにて開催した。講師は慶応義塾福沢研究センターの都倉武之氏である。福沢先生については以前、「痩せ我慢の説」なるもので、あの天下の勝海舟をコケにしたという武勇伝を聞いていたが、今回の講演でさらに筋金入りの硬骨漢であることがわかった。講演では「福翁自伝」「学問のすすめ」「福翁百余話」等を引用して、種々面白い話が披瀝された。その中のひとつをご紹介しよう。テーマは「俗ー権威を嫌い在野を誇る」である。
政府から君が国家に尽くした功労を誉めるようにしなければならぬというから、私は自分の説を主張して、「誉めるの誉められぬのと全体そりゃ何の事だ、人間が人間当たり前の仕事をしているのに何も不思議は無い、車屋は車を挽き豆腐屋は豆腐をこしらえて、書生は書を読むというのは、人間当たり前の仕事をしているのだ。その仕事をしているのを政府が誉めようというのなら、まず隣りの豆腐屋を誉めて貰わなければならぬ。そんな事は一切よしなさい。」と言って断った事がある。 さらに、 人々の智愚賢不肖にかかわらず、上士は下士を目下に見下すという風がもっぱら行われて、私は少年の時からそれについていかにも不平で堪らない。・・・上士の傲慢無礼を憤ると同時に、心の中では思い直して、この馬鹿者めが、何も知らずに夢中に威張っている。見苦しい奴だと却って気の毒に思うて、心中却ってこっちから軽蔑していました。・・・人間の空威張りは見苦しいものだ。威張る奴は恥知らずの馬鹿だとばかり思っていたから、それゆえ藩中に居て人に軽蔑されても侮辱されても、その立腹を他に移して他人を辱めるということはどうしても出来ない。・・・出来ないどころでは無い。その反対に私は下のほうに向かって大変丁寧にしていました。これは私一人の発明ではない。私の父母共にそういう風があったと推察出来ます。 引用が長くなったが、こういったことを公言して憚らなかったようである。福沢先生の落款は「三十一谷人」というシンプルなものなので贋作が絶えないようであるが、三十一とは重ねて書けば「世」である。谷人とは「俗」のことである。つまり自分を世俗と称して憚らない人であった。そこに権威を嫌い在野を誇る気概があったのである。
by y-rinri
| 2009-09-10 12:01
|
ファン申請 |
||