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前項は駆け足で韓国旅行の思い出を綴ってみたが、今回30年ぶりに訪問してみて、まさに隔世の感がした。ガイドさんの話しにもあったが、かつてはかの国はフィリピンにも後塵を拝する後進国であった。その当時はまだ軍事政権の朴大統領の時代であり、戒厳令も敷かれ時には電燈を消した時代であった。それがいささか強引ながら、先見性のあるリーダーによってここまで変貌した。第二の危機はアジア通貨危機の時だったろう。IMFの傘下に入り見栄も外聞も無く、国全体を革新した。とにかく今は道行く人の表情が違う。背筋をしっかり伸ばして、颯爽と歩いている。何よりも女性たちがキレイになった。それと街中で迷彩色の軍服を着た若者達にしばしば出会ったがそう、かの国は徴兵制があるのだ。暴力装置としての過剰な軍備は私は嫌いだが、常識を逸脱した北朝鮮を隣国に持つ韓国は臨戦状態なのだ。平和ボケした日本とは、ここが徹底的に違う。
全ての旅程を終え、日本に帰ってきたときほとほと考えさせられた。とにかく今の日本が色褪せて見えた。このままでは益々世界から取り残されていく感じがする。もっと高みを目指そう!胸を張ろう。決めるべきことは決めよう! ![]()
想定外のモンゴル出張のドタバタで、かねてから計画していた連休の韓国旅行は中止しようかとも思ったが、キャンセル料を払うのも勿体ないので予定通り出かけた。連休中の為に多少割高な料金だが、円高ウオン安のおかげでリーズナブルで快適な旅となった。コースはちょっと変わっていて、成田から釜山に飛び、韓国の新幹線KTXを使いソウルに行き、インチョン空港から帰路に着くという三泊四日の旅である。観光の中心は世界遺産めぐりで、久しぶりに韓国の歴史文化を堪能した。ガイドは日本語がうまく歴史にも詳しい年配のベテランガイドで、多くの韓国の知識も吸収できた。同行者は家内であるが、世の韓流ブームには乗り遅れたらしく、熱狂的ではないがそれなりに満喫したようである。特に世界遺産の場所のみを紹介する。
1、海印寺と八萬大蔵経 海印寺とは韓国の名刹で、その住職に会うには、現職の大統領でも3千回の拝礼が必要だという。圧巻は八萬大蔵経である。現存する世界最古の仏教の経典の版木である。重ねると富士山の高さを超えるという膨大なもので、高麗が元の脅威を避けるために15年をかけて作ったものである。まさに独裁者は転じて文化の最大のパトロンにもなりうるのである。驚嘆する点はその保管方法である。800年という風雪に耐えて、朽ちもせず、一つの割れも狂いもない。一時期、コンクリート製の建物に移したところ、かえって看過できない変化が現れたので、すぐに元に戻したという。圧倒的に計算された換気と保管状態なのであろう。朝鮮動乱の折、ゲリラがこの付近に逃げ込み連合軍の命で一斉爆撃を指示されたが、一将校がそれを無視してこの大蔵経を守ったという。後にこの将校は軍事裁判にかけられたが、第二次世界大戦の折、米軍が空襲から京都奈良を避けたことを引き合いに無罪になったという。 ![]() 2、慶州良洞民俗村 かの国の半島国の宿命か、その歴史は戦火の歴史である。隣国に中国の脅威があり、行き止まりの地勢的な意味からの百済、高句麗、新羅の三国時代。秀吉の朝鮮出兵。近代における日韓併合そして朝鮮動乱。あらゆることが、古きものの存続の可能性を否定してきた。その中でも600年前の古き朝鮮時代の趣を残すこの民俗村はひとつの奇跡である。日本で言えば白川郷か。 ![]() 3、仏国寺と石窟庵 仏国寺は紀元前1世紀から10世紀にわたり統治してきた新羅時代の官製の名刹で、建築材が石の為にかろうじて残った。石窟庵は近代になって一郵便局員が偶然に発見した世界の宝である。黄金率にかたどられた花崗岩の石仏は、何とも魅力的な風貌と佇まいである。実はここは私は2度目の訪問である。確か尚友、時田君と同行し30年は経つだろう。勿論、世界遺産の登録前で、仏前の囲いやガラスも無くむき出しのままであった。この仏様は東向きに鎮座しており、夜明けとともに拝礼をし朝日に輝く神々しいお顔が今でも脳裏に残っている。今回の旅行はその再見が最大の目的でもあった。 ![]() ![]() 4、古墳公園 慶州はいわば日本における古都奈良のごときで、いや奈良が慶州のごときと云ったほうが正確である。町全体が世界遺産となっており、開発には厳しい制限がある。町の真ん中に新羅の歴代の王と王妃の古墳が点在し古都の趣を添えている。黄金の副葬品が数多く出土しているそうだが、よく盗掘に遭わなかったものである。 ![]() 5、水原の華城 韓流の歴史ドラマに出てくる朝鮮王朝の中興の祖であるイサンが、ソウルの郊外に特に防備を固く設計した城である。実の父親が謀殺された経験を持つ彼は、常に警戒感を捨てきれなかったのかもしれない。堅固な城壁をもつ広大な城を、たった2年半で築城したという。しっかりと給金を払い、グループ制にして工期を競わせ、しっかりマネジメントして工事にあたったという。 ![]() 6、宗廟 朝鮮王朝の歴代の祖を祭る神域である。日本軍の謀略により政略結婚させられた李方子さんも、ここに葬られているという。いまでも毎年5月になると、全国から子孫が集まり盛大な供養が執り行われるという。 ![]()
4月の最終週はモンゴルにいた。急きょの経営判断を迫られたため、突然のモンゴル出張になった。月曜日に出発、水曜日には帰国という弾丸出張を計画したが、連休前の為、直行便がリザーブできず韓国経由となった。ソウル到着後、モンゴル・ウランバートル空港が天候不順なため、22時間のフライト・ディレイが発生、ソウルに一泊という羽目になった。
翌日の夕刻にモンゴル到着、当然水曜日帰国は変更せざるを得ず、木曜日帰国に変更した。ソウル便は無いためにチャイナ航空、北京経由となった。当然、航空会社が異なるために別料金となった。水曜日一日、当初の懸案事項を片づけて、さて帰国という段になって再度天候不順により、北京に飛行機が飛ばないという。結局は金曜日の夜中に北京に着き、日本への帰国は土曜日ということになった。 当初の3日の出張予定が結局、6日になってしまった。国内のかねてからの予定はすべてキャンセル、多くの方々にご迷惑をかけてしまった。改めてお詫び申し上げたい。 それにしても特定の航空会社を悪くは言いたくないがもう金輪際、使いたくない。天候不順による予定変更は仕方がないと思うが、とにかく全てがその時ばったりで情報公開もままならず予測の立てようがない。日本における、痒いところに手が届くようなきめ細かなサービスは望むべくもない。 しかし考えてみると、日本のビジネスのまさに生き残りうる要因がここに隠されているかもしれない。あくまで顧客の立場になり、親身になって顧客満足を追求していくならば、十分生き残れる余地があるのではないか。このところ日本式のビジネスが、ガラパゴス化と揶揄されながら不振の極にあるが捨てたものではない。これはサービス業に限ったことではなく、製造業も同様である。ちなみに息子(今回、昇格になり専務)は同時期に中国出張と、当社を取り巻く環境はグローバル化の一途にあるが、どんな世の中になっても真理は不変である。将来に明るい希望を持って頑張っていきたい。 ![]()
過日、平成24年度の倫理経営講演会が、130名の参加を得て盛況裏のうちに終了した。講演に先立って吉澤建設工業の活力朝礼の実演が行われたが、声もよく出ていて素晴らしい出来だった。何にもまして、このような元気な朝礼ができる会社になったことを、社長が一番喜んでいる事だろう。
一見、軍隊式の時代錯誤のように見えるこの朝礼を導入するには相当な勇気が必要である。しかし一挙一投足を合わせること、バカになって大きな声で挨拶をしたり、ハイの練習をすることは、確実に社員の結束力を増し絆を強くする。 講演のテーマは「易不易」という内容であったが、大変勉強になった。特に「ハイ」という返事は日本の古い大和ことばで、「命が蘇ること」だそうである。ハイのハは、ハッとすること、つまり気づくことであり、生み出だすことである。はは(母)とはまさに我々の命の本である。イは命のイである。だから大きな声で「ハイ」というと元気になるのだそうである。これは日本独特なもので、外国語の「スー」とか「ヨー」ではこうはいかない。誠に日本語とは言霊といわれるように不思議なものである。寄居町の企業にもっともっと、この活力朝礼が広まることを心から願っている。 ![]()
シャープの今期の赤字幅が4000億円近くなるという。お馴染みのテレビコマーシャルの「目の付け所がユニーク」を謳う企業文化はどこへ行ってしまったのだろう。お家芸としてきた液晶パネルや太陽電池パネル等は、付加価値が低い「組み立て型」へ変質し、、韓国や台湾などアジア勢の躍進で急速に競争力を失いつつある。前回のブログでも書いたが、その病根はソニーやパナソニックも同様である。歴史的な円高と容赦ないグローバル化にあって、早急に戦略転換を図らなければ取り返しのつかない状況に陥ってしまうだろう。その点で、本日の日刊工業新聞の社説で共感する記事に出会った。
「ソニーのウォークマンのようなライフスタイルまで変える非連続的イノベーションが生まれにくい背景には、経営者が短期的な業績に固執するあまりリスクを恐れ、ビジョンが不明確なまま、かつての成功体験から抜け出せない現実がある。」 ここがi-phoneやi-padが日本で生まれなかった理由である。もう一度、トップはその重要性を認識し、自分自身こそが自己革新を図るべき存在であることを自覚すべきである。
日本軍の失敗の原因の一つに、「軍事的合理性よりも組織内の調和や融和を優先した」ということが上げられる。いわゆる馴れ合いと、思いやりを混同する、「みんな仲良く共倒れ現象」のことである。そうなると組織が硬直化し、命令系統が上意下達という一方向のみになり、深刻な問題もなかなか顕在化して来なくなる。特に人材的にも各層で金太郎飴化して、出てくる結論も模範解答的になり、所謂、異端児という存在を許さない雰囲気になってくる。異端児とはトップにとって扱いにくく、しばしば反対意見を述べるために排除する傾向があるが、組織の健全化のためには決して良いことではない。異端児は、むしろ組織の柔軟性や活性化のためには必要な存在である。
例え話で「さんまとオコゼ」という話がある。ある魚市場で、いつも一艘だけ採れたさんまが生き生きしている船があったそうである。皆が不思議に思ってよく調べてみると、そのさんま船にはオコゼが混じっていたそうである。つまり、さんまとは異質なオコゼという風変わりな魚が同居しているために、びっくりして元気だったという訳である。 さの通り組織というのは、現場力のない机上のエリートばかりではいけない。所謂、賢慮があり、暗黙知を理解し、時にはその場の空気に負けずに、トップに意見をするような勇気ある人材こそが求められるのである。
「失敗の本質」を読み終えた。これは名著である。田原総一朗によれば、日本人は大東亜戦争の総括をいまだしていないと喝破していたが、野中郁次郎氏を初めとした当代、一流の知識人たちによる、さきの戦争の調査分析は大いに参考にすべき内容である。私の個人的な読後感想は後にして、あとがきが非常に的確にまとめられているのでここに転載する。
われわれにとって日本軍の失敗の本質とは、組織としての日本軍が、環境の変化に合わせて自らの戦略や組織を主体的に変革することができなかったということにほかならない。戦略的合理性以上に、組織内の融和と調和を重視し、その維持に多大のエネルギーと時間を投入せざるを得なかった。このため、組織としての自己革新能力を持つことができなかったのである。 それでは、なぜ日本軍は、組織としての環境適応に失敗したのか。逆説的ではあるが、その原因の一つは、過去の成功への「過剰適応」があげられる。過剰適応は、適応能力を締め出すのである。近代史に遅れて登場したわが国は、日露戦争(1904~5)を何とか切り抜けることによって、国際社会の主要メンバーの一つとして認知されるにいたった。が同時に日露戦争は、帝国陸海軍が、それぞれ「白兵銃剣主義」、「艦隊決戦主義」というパラダイムを確立するきっかけともなった。その後、第一次世界大戦という近代戦に直接的な関わりを持たなかったこともあって、これらのパラダイムは、帝国陸海軍によって過剰学習されることになったのである。 組織が継続的に環境に適応していくためには、組織は主体的にその戦略・組織を革新していかなければならない。このような自己革新組織の本質は、自己と世界に関する新たな認識枠組みを作り出すこと、すなわち概念の創造にある。しかしながら、既成の秩序を自ら解体したり既存の枠組みを組み換えたりして、新たな概念を創り出すことは、われわれの最も苦手とするところであった。日本軍のエリートには、狭義の現場主義を超えた形而上的思考がぜい弱で、普遍的な概念の創造とその操作化ができるものは殆どいなかったといわれる所以である。 自らの依って立つ概念についての自覚が希薄だからこそ、いま行っていることが何なのかということの意味が分からないままに、パターン化された「模範解答」の繰り返しに終始する。それゆえ、戦略策定を誤った場合でもその誤りを的確に認識できず、責任の所在が不明なままに、フィードバックと反省による知の積み上げができないのである。その結果、自己否定的学習、すなわちもはや無用もしくは有害となってしまった知識の棄却ができなくなる。過剰適応、過剰学習とはこれにほかならなかった。(中略) 1945年(終戦)から今日に至るまで、わが国は、国際社会の中における独立国家としての機能や役割を亡失してしまったであるかのように見える。組織としての日本軍の失敗に籠められたメッセージの解読が、今日、なお教訓になっていない。あるいは教訓となりえないのであろうか。 いかがであろうか、特に後段は耳が痛い。現在、業績不振に苦しむソニーやシャープ、パナソニックといった大企業の姿や、いつまでたっても決められないリスクを抱えながら七転八倒する政界の現状を見るにつけ、いまだ普遍的な概念の創造を成し得ていないわが国の現状を、深く嘆息するしかないのだろうか。
何の普及かと言えば「倫理」のことである。今年度の会長方針で年度末は8月であるが、6月中に目標達成したいという方針なので、いよいよ佳境である。7月25日には達成記念として草加市に丸山理事長が来られるので、未達成という訳にはいかない。地元寄居はしっかりやれそうなので、このところ他地区のお手伝いをしている。とくに私は中部地区(東松山市、鶴ヶ島市、比企)が担当なので、朝活から参加している。朝活の後、目星をつけながら普及に回っている。
第一回目は東松山の渡辺会長と同行して捲土重来、次回必勝を期している山口泰明前衆議院議員の事務所に伺った。丁度ご本人が居られ、渡辺会長はときがわ町の後援会長、私も寄居町前町長津久井さんの叙勲祝いでもお会いしていたので話が弾み、入会を快諾してくれた。 今日は利根川副会長と社長が同級生だと言われるニッポンハレーさんのところへ、先週に引き続きお伺いした。弊社と同じ自動車部品の製造をしておられるので、「職場の教養」を使っての社員教育という利点を強調しながら入会をお勧めした。国内市場が今後益々、縮小していく中、企業の格差は人材の格差だという認識を共有していただいて4月からの入会となった。早速、弊社の活力朝礼を見学に来られるようである。まさに活力朝礼は倫理法人会の一番の売りである。それは日常的なOJTで、強力な社員教育になる。システム的な社員教育の実施が困難な中小企業にとって、すこぶる社内の空気を変える有効なツールである。 第3は大学の後輩の会社である。そこは狭山市でガソリンスタンドや都市ガスを扱う老舗の会社である。社長は2代目で、銀行の関係で以前からの知り合いであり、県西部の三田会の事務局長を務める優秀な人材である。この度、私にその三田会の副会長をやれという。地元にそれにふさわしい方が居られると固辞したのだが、どうしてもというので倫理入会を条件に承諾した。さっそく入会していただいた。 さの通り、多少強引な手段を使っての普及であるが、我が人脈と知恵を総動員しての普及である。 しかしこの事がきっかけになって経営者の自己革新と、会社が良い方向に変われば言うことはない。なかなかこういった厳しい経済状況にあって、いかに本物であっても伝えることは難しい。しかしあくまでおせっかいのようだが相手の立場になって、さまざまな手段と工夫をこらしながらの普及が、自分を鍛えてくれる。結果、良き倫理体験が出て相手に感謝されたとき、何とも言えない満足感がある。つまりはそこが「普及は宝」と言われる由縁なのである。埼玉県の目標5580社、何としても達成したい。
先日の18日、日曜日午後7時よりBS/TBSにて開高健スペシャル「漂えど沈まず」という番組が放映されるとの連絡を、鯉渕先生(亜細亜大名誉教授)から戴いた。それに2004年から弊社に勤務していたモンゴルの研修生、ソブダも出演するという。俳優小林薫がレポーターを務め、2時間という開高健ファンとしてはたまらない内容だ。開高健はご存じ、処女作「裸の王様」で芥川賞をとり華々しく文壇にデビューし、ベトナム戦争に朝日新聞の従軍記者として生死をさまよったこともある行動派である。食通でも知られ釣りを良くし、特に幻の巨大魚を求めて世界を駆け巡った。
今回の放映はモンゴルの巨大魚イトウを釣り上げたエピソードを中心にした番組である。釣り上げた場所はモンゴルの首都ウランバートルから西へ700キロほど行ったタリアット村というところで、ソブダのお祖父さんが開高をもてなし、釣りのアドバイスをしたという。それは開高の亡くなる2年前のことである。滞在中、開高の自然をこよなく愛する心情と優しさに触れるにつけ、村の人たちと開高との心の絆は強くなっていったという。ソブダのお祖母さんは今も健在だが、幼少のころから日本人に対する好印象を、折に触れソブダに語ってくれたという。それが彼女をして、日本で学び働きたいという動機になっていったのだという。まさにその研修場所が弊社だったという訳だ。 そしてさまざまな偶然が重なり、彼女とかつての開高のモンゴル語の通訳だった鯉渕先生との邂逅があり、今回の番組に花を添えている。まさにそれは究極のシンクロニシティであり、モンゴル人の古くからの教えでもあるそうだが、「時を待ち望みを捨てなければ、出会うべき人とは必ず出会える」ということである。 開高が大魚イトウをつりあげてから25年が経過した。まさに開高とモンゴルとの出会いが、時空を超えて今に蘇ったといえる。その辺のエピソードも番組の中でソブダが語ってくれた。私も今回のご縁に関与できたことを素直に喜びたい。全く世の中は捨てたものではない。まさに「漂えど沈まず」である。 ![]()
あの痛ましい東日本大震災から一年が過ぎた。いまだ三千余名の行方不明者がいるという。残されたご家族の無念さを思うと居たたまれない気持だ。さらに34万人を超える人たちが避難生活を余儀なくされている。とくに原発事故の避難区域の人たちは帰るべき故郷も無い。何ともやるせない悔しさが込み上げてくる。
『東日本大震災のあと、1984年に刊行した「失敗の本質(中公文庫)」が話題になったと聞いた。被災地や原発事故への政府対応に、敗戦すべくして敗戦した日本軍の「失敗の本質」との共通性を読み取る人々が多かったのではないだろうか。』と著者の野中郁次郎氏は語っているが、注目すべき発言である。さらに氏はあくまで個人的な見解だと断りながら『菅政権は将来性を指し示す大局的な国家戦略が曖昧で、そこにはリアリズムがない。そのため、なかば評論家的な視点から、机上の空論を戦わせているのではないか。』とも言っている。それは私が今回の事故に対して、抱いた憤懣やるかたない気持と同質なものである。その後、必然的に菅政権は崩壊し野田政権となったが、本質は変わっていない。 これだけ煽られて「失敗の本質」を読まない訳にはいかない。いまだ読了はしていないが、ミッドウエー海戦の大敗を見ただけでも、なにおかいわんやである。以下、その敗戦の理由を列挙してみる。 1、明治以降の日清、日露戦争、加えて第一次世界大戦の勝利という成功体験に酔い、常に現状打破を戦争に求めるムードがあった。 2、過去の成功体験を捨てきれずに、世の中は大きく変化しているのに戦略の転換を図らなかった。つまり海軍は大鑑巨砲主義から抜け出せずに航空戦の時代認識を見誤った。陸軍は兵器の稚拙さを白兵銃剣主義という時代錯誤の根性論で補おうとした。 3、日露戦争までは幕末維新の混乱期を生き抜いてきた全人格性を持った元勲たちがリーダーシップを発揮したが、大正昭和になって即製の軍務官僚エリート達スペシャリストが国をミスリードした。 4、すでに日本軍の暗号は米国に解読され、情報戦という点においても日本は負けていた。 5、大本営の判断はあくまで机上の空論に終始して現場の意見を無視し続けた。 6、派手な精神論を重視して、慎重論や悲観的な想定には聞く耳を持てなかった。 7、一撃を加えれば敵は則、戦意を失うだろうという楽観的想定が主流を占めていた。 8、想定外の事象が起こると命令指揮系統が混乱し有効な手が打てなくなった。 9、マスコミは敗戦による退却という事実を、転戦という表現をして国民に事実を知らせなかった。 10、陸軍と海軍の信頼の絆が切れており、結束力が欠けていた。 11、トップ(山本司令長官)とミドル(南雲中将)との戦略における意思疎通の一体感に欠ける所があった。 12、軍事的合理性よりも組織内の融和と調和を重視しすぎて真実から目をそらしてしまった。 13、上層部が耳触りの良い情報ばかりを欲し、不利な情報をもたらす部下を遠ざけた。 まだまだあるが、書いているうちに現在と余りに酷似しているので厭になった。一息入れよう。39057 ![]()
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